私がいいね数に囚われたくない理由

本題行くぞ


今回は前置き無しで本題から語りますね。

いいね数ってSNSでたくさん増えると嬉しいですよね。自分も過去に小バズ(数百レベル)だったら数回経験してます。でも、いいね数で囚われる生き方はしたくないなあって思ってます。何でかっていうと...

 

「いいねをただの数でしか認識したくないから。」

 

これに尽きます。具体的に語りますね。

 

普段あんまり意識することはないと思うのですが、「自分のツイートにいいねする人ってどんな人なんだろう?」って考えたことがありますか?

自分はめちゃくちゃ意識します。何故なら自分に関心を持ってもらえるだけで凄く凄く嬉しいからです。そこからその人のツイートを見て「自分にいいねしてくれた人ってこんな生活しているのか!」だとか「自分のツイートで人生の見え方が少しでも変わるといいな」ってドラマを想像するのがとても楽しいのです。もしかしたら社交辞令でいいねしているだけかもしれないですし、下手したら押し間違いのいいねかもしれないです。でも、それでもいいのです。逆にいいねとしか表示されていないからこそ人は無限に想像出来るのだと思います。

 

逆にいいね数だけに囚われる生き方って何というか人の気持ちそのものを「ただのもの」だとか「数」でしか認識していない気がして何となく気持ちが悪く感じるんです。ましてや、それでマウントを取るような風潮はすこぶる嫌いです。

極端な話1万ファボと10ファボで比べたとしても、1万人全員押し間違いかもしれませんし、10人の中で1人そのツイートを見たことで人生が救われたような思いになることだってあると思うんですよね。

 

上手く言葉で言えないんですけど、「お前らこうすれば嬉しいんだろww」って自分の魅力を履き違えて付け上がってる感覚がして不快感を感じます。自分は絶対そんな人間にだけはなりたくないです。もっともっと自分に対して興味を持ってくれた人間に出来る限り寄り添えるような人間になりたいと思ってます(私がフォローしたらなるべく返す理由がこれ)。

 

また、youtubeのチャンネル登録の呼びかけとかも同様に嫌いです。人にチャンネル登録されたいって気持ちは死ぬほどわかります。でも、人に促されてホイホイ脳死で登録した事実よりも本当にその人が人に促されずに視聴者が本当に良いと感じて「この人に心の底からチャンネル登録したい!」と感じて登録するのって全然違うような気がします。何というかチャンネル登録の過程にすら人のドラマを感じたい。想像して見たいって思うのです(そういうコンテンツではないことは重々承知していますし、実際呼びかけた方がチャンネル登録者が増えるのは事実なんでしょうけどね...)。

 

この記事を見て共感したのであれば、数だけに囚われるのはやめて、いいねした人たちのドラマを想像して見ませんか?